<<< UP

美術館の中のワンパーソン・ライブラリ--美術館情報専門職の日常

                       中村節子氏

 ブリヂストン美術館の中村と申します。よろしくお願いいたします。本日は,この研究集会に当たり,与えられたテーマが「美術館の中のワンパーソン・ライブラリ−美術館情報専門職の日常−」という題目でした。まずはブリヂストン美術館における非公開のライブラリの担当者としての日常というところからお話を進めていきたいと思います。

 その前に,先ほど水嶋先生から「レジストラー」という言葉が出ましたが,これはあまり皆様になじみのない言葉だと思いますので,若干の説明をさせていただきたいと思います。美術館の主な職制としては,まずキュレーターというものがあります。これは美術史を専門とする研究者で,調査研究や展覧会の企画,実施が主な仕事です。レジストラーは,作品に関する情報管理をする担当者です。例えば作家名,作品名,サイズなどの情報を管理すると同時に,作品の貸し出しを行う場合や展覧会で作品の移動をする場合などに記録を取り,作品の移動スケジュールも立てます。それから,コンサバターという者がいます。これは作品の保存修復担当です。最近,注目を浴びている職制の中にミュージアム・エデュケーターというものがあります。これは日本では,教育普及活動と言うのですが,ワークショップやギャラリートークなどいろいろな教育プログラムの担当者です。

 それからライブラリアンというものがあるわけですが,日本の美術館においては,学芸員という名のもとに,キュレーターに当たる美術史を勉強した人が,レジストラーやエデュケーター,ライブラリアンも兼ねるということが非常に多いです。コンサバターだけは,作品に物理的に手を加えたりするわけですから,誠に専門的な技術と知識が必要とされるので,作品の修復については外注で業者さんにお願いするということが,これまで日本の美術館で多く行われてきました。

 では,職制の中の一つであるライブラリアンがどのような活動をしているかということについて,ご説明していきたいと思います。

 まず,石橋財団のブリヂストン美術館の図書室について簡単に説明させていただきます。株式会社ブリヂストンの創業者である石橋正二郎が大変充実した美術コレクションを持っておりまして,これを一般に公開することを目的として,1952年1月に美術館が開設されました。翌年,図書の購入がすでに始まっています。1956年に石橋財団が設立され,運営は個人から財団に引き継がれました。1959年,設備拡充のための大規模な増築工事が行われましたが,そのとき,美術館のフロアプランの中に初めて「図書室」という文字が見えます。したがって,発足当初から蔵書というものが,作品について調査研究する上で大事なものであるという認識はあったように思います。しかし,その蔵書を管理する担当者がいたかというと,長い間おらず,1981年に事務職員が司書資格を取って,図書の整理を開始しました。その結果として,1981年以降は図書の目録が取られているのですが,1953年から1980年までに受け入れた資料は主に洋書を中心として,未整理という状態がずっと続いていました。

 次に,資料のコレクションについて簡単にご説明いたします。美術館の蔵書は,所蔵作品を中心に,その関連の資料で構成されています。ブリヂストン美術館の場合には,フランスの印象派,ポスト印象派,日本の近代洋画などの資料を中核とした,西洋および日本の近代美術の資料です。14世紀から20世紀前半の作家のカタログレゾネ,これは作家の作品総目録ですが,そういうものの収集にも力を入れています。また,ジャポニスムに関する資料も収集の対象です。印象派やポスト印象派の画家は,ご存じのように,日本美術から大変大きな影響を受けました。同時に日本の近代洋画家は,日本美術の影響を受けた印象派やポスト印象派の作品から大きな影響を受けました。その両方の作品を所蔵しているブリヂストン美術館にとって,ジャポニスムは重要なテーマのひとつです。また博物館学に関する資料や,日本の美術館としては珍しくコンサバターが所属していますので,保存・修復関連の資料も充実しています。

 冊数としては,研究書,展覧会カタログ,所蔵品カタログなど,洋書がおよそ5600冊,和書が1万2000冊。雑誌は,欧文雑誌が49タイトル,日本語の雑誌が564タイトルです。原則として非公開ですので,財団職員や関係者のみの利用ですが,大学や図書館で所蔵が確認されない資料については,大学生の場合は大学図書館からの紹介状を持参すること,そしてあらかじめアポイントメントをとることで,利用を許可しています。

 次に,ブリヂストン美術館のライブラリとして,ちょっと特殊なことをお話ししますと,分類はNDCではなく,独自分類を導入しました。これは,コレクションの蔵書構成のあり方が19世紀から20世紀前半までの西洋の近代美術が非常に多く,かなり偏りがあるということが理由です。標準分類法であるNDCでは,そういう蔵書の構成のあり方にうまく適合しないためです。それから,あくまでも書架分類で,司書が資料の出納を行うのではなく,学芸員が自分で調べたいときに直接書架に行って,求める資料を探しているためです。ブラウジングなどがやりやすい方法ということを求められましたので,NDCから独自分類に移行しました。その経緯について,そして分類のあり方については,『館報』に発表したことがあります。

 しかし,現実の問題としては,どういうことがあったかというと,私が1993年1月にブリヂストン美術館に就職したとき,前任者がやめてからすでに1年近くが経っていたのですが,分類はNDCを使っていながら,配架はNDCを無視して,作家別や,NDCにはない主題別に並び替えられていました。したがって学芸員はラベルではなく,背文字を見て図書を探すという,大変混乱した状態だったのです。「探しにくい」「不便である」,そういう不満がありましたので,何か具体的なプランを出して,すぐに解決の方法を探る必要がありました。そのときに非常に感じたのは,NDCという「図書館の論理」ではなく,その場に合った,使いやすい方法として,利用者の意向を積極的に反映させるようなことを考える柔軟な姿勢が必要だということでした。

 それから,1993年以降,データベースを構築していきました。最初はウィンドウズパソコンで,「桐」というソフトを使っていたのですが,1999年にサーバー,クライアントがMacに変更になりました。本来はパッケージソフトを入れたいと思っていたのですが,サーバーもクライアントもMacになった時点で,ふさわしいパッケージが見つからないためパッケージソフトは断念しました。そこで「ファイルメーカーPro」でフィールド設定などを独自に考えて,新たなデータベース化を始めました。サーバー,クライアントですので,美術館内では情報の共有ができるのですが,石橋財団事務局と美術館分室が港区の麻布永坂にあり,また姉妹館である石橋美術館が福岡県の久留米市にあるという状況で,ブリヂストン美術館の中だけで情報を共有するのではなく,財団職員がだれでも,どこからでも,いつでも情報を共有できるよう,イントラネットでの情報公開を目指して2002年度に予算を申請しました。

 久留米の石橋美術館にも後藤さんという司書の方がいらっしゃるのですが,それぞれデータベースをつくると,その構造が若干違ってしまうのです。お互いに自分の現場で仕事をしやすいような構造にするものですから,それを統合しようということになると話し合いが必要でした。しかし,目的が財団全体で,どこからでも,だれでも,蓄積された情報に自由にアクセスできるような体制をつくろうということですので,お互いに協力して統合の作業をおこなっています。現在は,ブリヂストン美術館所蔵の図書データはイントラネット上で公開されています。同時に,未整理だった主に洋書の遡及入力を,一部は外注で入力し,アルバイトなども雇用して,現在もまだこの作業は続いています。

 もう一つ,麻布永坂図書室の設置ということがあります。実は,1999年に美術館の大規模な改修工事があった際,作品をもっとよく見せたいということで,展示室を拡張して,回廊式にすることになりました。その結果,2階にあった事務室や館長室が3階に移設されたのですが,3階のかなり大きなスペースを使っていた図書室が外部に移動するということになってしまいました。京橋のブリヂストン美術館では,使っている面積分は家賃という形でコストがかかりますので,コストがかかる部分は来館者サービスのほうに向ける。バックヤードの方は,家賃というコストがかからないよう,財団事務局と美術館分室のある,財団所有の麻布永坂の建物に図書室を新設するからということで,そこに移動することになりました。

 しかし,すべての資料を移すことができたわけではなく,麻布永坂という場所もスペースに限界があったため,資料が二つに分かれてしまうということになっています。また,資料を利用する学芸員は京橋の美術館におりますので,図書と利用者が分かれています。それをカバーするためにどうしているかというと,司書が京橋−麻布永坂間を,多いときには1日に2往復して必要な資料を運んでいます。

 このときに私自身,反省したことがあります。図書室が資料の利用者である学芸員から離れて違う場所に行くことや,資料が二つに分かれるということには反対でした。しかし,そうした厳しい状況の中でも最善の条件をどのように獲得すればよいかという具体的なプランや戦略を自分で考えて,直接上層部にかけ合っていくような積極性がなかった。ただ反対だという消極的な態度であったため,こういう結果になってしまったのではないかと思います。これは非常にいい勉強であったと思っています。

 次に,ルーティンワークについて,非常に簡単にご紹介したいと思います。皆様はそれぞれ担当する業務内容が分かれているような,複数のスタッフがいる図書館にお勤めでいらっしゃると思いますが,ワンパーソン・ライブラリでは,予算申請など,図書館の運営者がするような業務から,それこそパートの方がするような,お掃除や,図書ラベルを張る,本を書架に戻すというようなことまですべて1人で行っています。

 その中でも一番大事な仕事は,予算申請です。昨年,ある額の予算が取れたからといって,それが今年も取れるという時代ではすでになくなっています。何のためにお金が必要なのか,例えば図書の購入だけでなくマイクロフィルムのリーダーが壊れて廃棄するとなると,次に新しくマイクロリーダーを買うためには,予算申請だけではなく,利用計画や,購入した結果どういう良い効果がもたらされるのかなど,購入の必要性を納得してもらえるような方法を考えて提出しなければ,予算は簡単には通りません。

 それから,図書購入手続きの制度化です。数年前までは,図書の購入についても,どういう本を選んでどういう買い方をしているのかということは,あまり厳しく問われることはありませんでした。しかし,昨今の非常に厳しい状況の中では,なぜそのような図書を購入する必要があるのかということが問われるような環境になってきました。かつては,それぞれ学芸員が出版目録や書店の在庫目録に「この本が欲しい」と付箋をつけて学芸課長がそれに判を押せばそれで通ったのですが,そういう形では,何を買うかということが個々人の任意に過ぎず,きちんとした計画性もなく購入していると解釈されかねません。

 そこで図書購入会議というものを開いていただくようお願いして,あらかじめ何故購入が必要かを明記した購入候補のリストを提出して,それを会議という席上で検討するようになりました。そういう制度化を導入しますと,私自身は事務的な仕事が増えて負担にはなります。しかし,図書1冊を買うのであっても,それが組織にきちんと承認されている行為だというプロセスをつくっていくということも,やはり考えなければならないことでした。

 具体的な図書の整理作業についてですが,西洋美術の書物が中心ですので,やはり洋書が多いです。英語が中心ですが,フランス語やドイツ語も多いですし,オランダ語,イタリア語,スペイン語などの資料も入ってきます。最近はいろいろな海外の図書館のOPACが整備されて,そういうところから情報を得ることができるようにもなりました。しかし,美術書の特性として,少数部数の刊行物が多く,必ずしもどこかの図書館に所蔵されてはいないようなものも当館で購入したり,寄贈されたりしますので,やはりカタログを取るということにはかなり時間がかかる場合もあります。また,カタログをどう取るのかということもあります。これは,図書館情報学として学んだことが一番生きる場面でもあります。

 図書の貸出管理ですが,利用者が主に内部の学芸員ということになりますと,貸出の管理体制をどうコントロールするかということが実は一番難しい問題です。あるべき本がないということになりますと,管理責任者であるライブラリアンの責任が問われます。現在バーコード導入の作業を進めていまして,来年度からはバーコードによる貸出手続きの簡便化によって,どの図書が今どこにあるかということをイントラネット上で簡単にわかるように準備しています。

 レファレンスについてですが,『図書館雑誌』の2003年9月号で,「れふぁれんす三題噺」の原稿の話がありまして,そちらに書きました。非公開の図書室ですので,レファレンスそのものを受付けているわけではありませんが,あえて美術情報を求めて,ブリヂストン美術館に尋ねられた質問に対しては,なるべく答えるようにしています。一番多いのは,展覧会に関する質問,あるいは作家や作品についてどこに所蔵されているか教えてほしいということが中心です。

 ルーティンワークとは別に,美術館事業への参画といいますか,ほかの美術館活動にもかかわっています。例えば展覧会カタログにおける文献目録の作成です。モネ展,石橋正二郎展,藤島武二展などの文献目録を作成してきました。山下新太郎の展覧会が2004年4月に予定されていまして,その文献もただいま調査をしています。その後,秋にはザオ・ウーキーという作家の展覧会も予定されています。例えば山下新太郎展の場合には,マイクロフィルムになっているような古い雑誌や新聞の記事から,山下新太郎に関する情報を追って,それらの文献のコピーを日々,担当の学芸員に届けることで,それがやがて作品解説や年譜に反映され,またこちらでも文献目録を作成する。そのような協力体制での仕事を行っています。

 それから,来館者へのサービス向上の一つとして,情報コーナーの開設ということを提案しました。美術館が作品を保存して展示・公開するのは非常にコストがかかるのですが,それでも社会的な使命として美術作品を公開しているように,美術館が所蔵している図書のコレクションもまた,内部で利用するだけでなく,もっと社会的に役立てることができないか,と考えています。特にブリヂストン美術館は1953年から非常に貴重な図書資料を収集してきましたので。そのような図書のコレクションも,同じように社会的な文化財として,一般公開はできなくても,せめて若い研究者たちが使うことができるように限定公開させていただきたいということはずっとお願いしているのですが,やはり人員やコストの面で,なかなか実現には至りません。

 そこで,1999年の大規模な改修工事のときに,図書室そのものは移動することになったので,そのかわりといっては何ですが,来館者がブリヂストン美術館の活動記録や出版物に触れて,美術館への理解と愛着を深める「場」をつくる必要がある,来館したお客様が,この美術館について知りたいときに,その資料を見る場所がここにはどこにもなくて,ほかの図書館に行きなさい,と言うことで果たしていいのでしょうか,というようなことをお話しまして,情報コーナーの開設をお願いしたわけです。

 そのときに,「資料を出しっぱなしにすると,盗られるだけ」という意見が出たのですが,たとえ盗られるというリスクがあっても,顧客によりよいサービスを提供するのか,それとも,盗られる危険性があるから,情報提供のサービスをしないのか,どちらがあるべき姿勢でしょうかというような問いかけによって,幸いにも情報コーナーの開設が認められました。非常に小さなスペースですが,展示室の一角にありまして,窓から外の景色が見られます。同時に,万引き防止の策というものも考えています。一番人気のある『読むブリヂストン美術館』という本と,最近刊行した『ブリヂストン美術館50年史 1952-2002』などは盗難防止として,ボードに張りつけています。また,最近15年間の展覧会カタログや『館報』,美術館が出している調査研究報告書などを置いてありますが,書架の本を手に取りますと,その本があった後ろのボードに書名を書いたシールが張ってあり,本がないと,「○○の本がない」ということが一目でわかるような仕掛けになっています。無くなったのは,4年間で1冊だけです。またこの情報コーナーには,パソコンが2台設置されていて「ヴァーチャル美術館」と名付けたデジタルミュージアムによって,ブリヂストンと石橋美術館の代表的な作品がご覧いただけるようになっています。

 教育普及活動への参加ということもずっとしてきました。博物館実習では,「美術情報と文献の探索」という授業を受け持っています。土曜講座では,「書物の歴史と美術」「古書のコスモロジー」「美しい書物:装幀芸術の世界」など,司書の立場としてかかわれるようなテーマを自分で見つけて企画をしています。それから一度だけ,小さなコーナーの展示ですが,挿絵本というテーマで企画及び解説執筆などをしたことがありました。

 最後に,課題及び提言ということですが,9月27日のLIPERの研究集会で,専門図書館協議会の山本達夫先生が,SLAの調査結果から「専門図書館員に不足している能力」ということについてお話になっていらっしゃいまして,コミュニケーション力やプレゼンテーションをする力,あるいは説得する力,ビジネス戦略立案能力などがあがりました。これはもしかしたら,アメリカという特殊な環境で必要とされる能力と思われがちかもしれませんが,やはり日本でも必要とされる能力なのではないかと思います。専門的な知識や技術だけではなく,こうした積極的な要素,自分の専門的な情報や技術を生かして何かをするというときに,こうした能力がなければ自分のポジションは守れないのではないかと思います。

 それから,「ワンパーソン・ライブラリから見えてくるもの」ということで言えば,美術館,博物館は今,非常に厳しい冬の時代,淘汰の時代に入っています。今まで美術館や博物館は,経営的な側面での能力などを問われることは余りなかったのですが,現在では博物館評価ということがあり,そのあたりもかなり問われるような時代になりました。私立美術館では,現実にリストラなどが進んでいます。そうしますと,ここで問題なってくるのは,自己評価ということです。

 美術館の非公開のライブラリ,ライブラリアンの存在理由は何かというと,第一に必要な情報,資料の充実ということだと思います。美術館の所蔵作品に関する必要な情報が網羅的に収集され,蓄積され,保管されていくことを目的にしているのであって,利用率のことを問題にされれば,確かに内部利用だけですので「たったこれだけの利用率に対して,こんなライブラリが必要なのか,こんなに図書を買ってどうするのか」ということを言われるのですが,そうではなく,ブリヂストン美術館に作品がある以上,今在職している職員だけが相手なのではなく,ほとんど未来永劫,作品がある限りは作品に関する調査研究のために,ここにある資料はすべて次の世代,またその次の世代へと受け渡していかなければならないということをお話ししています。

 そして第二に,ライブラリアンの立場で母体組織に貢献できることは何かということを考えた結果として,私としては,展覧会における文献目録作成や教育普及活動などに参加しているわけです。インターネットの驚異的な発展によって,情報入手が簡単になってくるように見えますし,実際に,BLDSC(British Library Document Supply Centre)など,さまざまな文献供給機関があちこちにありますし,また,雑誌の記事検索などが無料でできるようなサイトも存在するという現実があります。しかし,重要な情報は,それだけでは入手できないわけで,やはり地をはうような探し方をしないと,重要な情報が出てこないことがあります。そういう情報を集めて,文献目録や記事索引を作成するなどの調査研究活動に資する仕事の実践ということが必要ではないかと思います。

 最後に提言になるのですが,そのような現場の状況をどう教育につなげていくのかということが今後の大きな課題ではないかと思います。実際の業務とはどういうものなのかを,OJTやインターンシップによって体験する。教育の場と現場との往復の中で,学生たちはその職制に関する知識や理解を深めていくのではないでしょうか。先ほど根本先生のお話の中にも,今まで実務的なことを軽んじていた傾向があるが,それをカリキュラムにどう取り入れていくかというようなお話がありましたが,やはり現場でのさまざまな課題や議論があるわけで,それを教育の場にどう取り込んでいくのかということが今後の課題だと思いますし,優れた人材育成のためには,教育と現場とが連携し,協力する必要があるのではないかと思います。それでは,これで終わらせていただきます。