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エビデンスベーストアプローチによる図書館情報学研究の確立
第5回ワークショップ
「図書館史研究にとってエビデンスとは何か?」

議事録

開会の辞 | 発表T(小黒:前半) | 発表T(小黒:後半) | 発表U(三浦) | 発表V(吉田) | 質疑応答

::: 発表T(小黒浩司氏:後半) :::

小黒
 それにしても、このインタビューは比較的うまくいった、成功したものだと言えると思います。というのは、この『中小レポート』関係の聞き取り調査が一段落して、あとは整理をしてというようなところになってくると、次にどうしようかという話になってきまして、我々の中でも比較的『中小レポート』関連の調査がうまくいったものだから、では続けてもう少しやってみようじゃないかという気持ちになってきたわけです。次に何をやろうかということでいろいろと考える中で、下伊那の青年会の図書館のことをやろうということになっていきました。これは確かにおもしろいテーマであったと思います。
 これが大体98年ぐらいから動き始めることになりました。これが案外時間がかかったんですね。時間がかかった割にこれといった成果がない状態で、事実上しり切れトンボになってしまっています。これはどういうことかといいますと、先ほど申し上げたとおり、このインタビューの前提として、できるだけ多くの資料を集めて読み込む、その上でインタビューをすることになり、我々は飯田の中央図書館にしょっちゅう行って資料を探すわけですけれども、活字になった資料というのがほとんどないのです。多くが古い青年会の記録簿などになります。それらは、紙にメモ書きの目録はあるけれども、電子化された目録はないし、書誌的事項が十分でない目録を頼りに、片っ端から読んでいかなければいけませんでした。これが案外に大変でした。
 『中小レポート』の場合でいけば、『図書館雑誌』を初めとして多くの活字資料がありましたので、大変だと言いながらも収集や分析にはさほど苦労しなかったのですが、この下伊那の場合は、資料を集めるというところで大きな壁にぶち当たってしまったということです。そして、その残っている資料も非常に断片的なもので、インタビューをするための材料としては決して十分ではなかった。何かいい材料はないかと探して、探して、探してということがしばらく続いてしまいまして、ごらんのとおり調査そのものに着手したのは98年ですけれども、実際にインタビューが行われたのは2001年ということになりました。
 このインタビューが行えたというのもある意味奇跡的、偶然の産物でした。どうにも資料がないという中で、現在は飯田市と合併してしまいましたけれども、上郷という町に図書館がありまして、それは今、飯田市の分館になっているわけですが、そこの書庫の中に入れてもらったところ、上郷の青年会の記録簿がかなり系統立って残っていたことがわかりました。これは飯田の目録にも載っていないものです。そしてその上郷の紙の目録などにももちろんない。上郷の図書館の方に何か話を聞いているうちに、実は書庫の上の上の奥のほうにちょっとまとまったのがあるみたいな話を伺って、見せてくださいと言って見せてもらったら、とんでもない資料の山だったということです。
 今でもこの辺は鮮明に覚えています。つまらないことを鮮明に覚えているんですけれども、こういう非常に暑いときでして、図書館の3階部分が書庫で、冷房などもないところです。汗だくになってひたすら記録簿をめくっていくという作業をしました。パソコンを持っていっていたんですけれども、そのパソコンがあまりの暑さで動かなくなってしまったというぐらいの暑さだったのですが、それでもようやく資料にめぐり合えたうれしさで、暑さを忘れてあれやこれやと資料をあさったのだけは覚えています。そういったある程度系統立った資料が出て初めて、これだったらインタビューができるということになって、ごらんのような方々にお話を伺うことになりました。
 しかしながら、またここでもう一つの壁があったわけです。こういった方々は当時の青年会の幹部級の人たちですけれども、こういう言い方はあれですが、この青年会はいろいろ活動している中で、図書館なんかは本当に活動の端の端の端の分野のことなんですね。したがいまして図書館長だとかいっても、別にそれはたまたま青年会長だったから兼務だというだけの話で、図書館に対して何か深い理解があってそういったポストについたわけでもないということで、いろいろと話は伺ってもあまりはっきりとしたことがわからない。
 この辺は『中小レポート』のときと大違いでして、やはり前川さん、石井さんなどはその道のプロ中のプロの人たちですから、図書館の分野の歴史研究の上で、この辺が問題になるだろうというようなことを実は先回りしてわかっているぐらいで、こちらが聞いたことに対してはちゃんとした答えがすぐに返ってくるという状態です。ところが、アマチュアの方の場合は、我々が聞きたいことはあまり覚えていない。むしろほかのところにどんどん話が飛んでいくという状態です。渡邊ハナ子さんのときもそうだったのですが、インタビューをコントロールするのが難しかったというのが実情です。
 記録簿にはこういうふうに書いてあるんですけど、といくわけですけれども、いや、それはちょっと覚えていませんというような形で、どうもはっきりとわからなかったということです。そして、ではだれが知っているんでしょうかと聞くと、それはだれそれさんが知っているかもしれないけれども、もう亡くなってしまったというような形になりまして、何となく輪郭がわかったということにすぎません。そうなってみると、やはり図書館の歴史の研究ということになると、しっかりとした資料がまずあって、資料に基づいた研究というのが本筋であって、インタビューというのはそれを補うものにすぎないということが、この下伊那の調査の中から嫌というほどわかったということが言えると思います。
 そうなってくると、そろそろこの研究グループもやめてしまってもいいのではないかというようなことも実際問題、メンバーの中では議論になるわけですが、一方で金をもらっている以上は中途半端な形でやめるわけにもいかないということで続けると。では、少し目先を変えてみようかということで最近、同じ長野でも上田の図書館についての聞き取り調査を始めたところです。なぜ上田かといいますと、いろいろあるのですが、一つはこちらの目指したところとして、比較的新しい時代のことであって、まだ関係者、この人だという人がご健在である。つまり、オーラルヒストリー研究グループなのだから聞き取り調査が主体であるべきで、文献調査ばかりやっていたのでは看板倒れだ、やはりインタビューをしたいということで、そこに名前が出ていますけれども、ならば平野勝重さんがまだご健在だから、この平野さんへのインタビューを中心としてやろうということで、1960年代から70年代あたりのところをちょっとやってみようということになったのです。
 実はこの平野さんという人は、『中小レポート』の後、『市民の図書館』という本がつくられるわけですけれども、その『市民の図書館』という本をつくる前のところで、協会が調査をやっていまして、その調査の対象になった図書館の一つが上田市立図書館で、その検討会などにも参加した人だったのです。この論争はかぎ括弧つきになるのですが、前川さんとの間でちょっとした「論争」もあったりしまして、ある種この『中小レポート』に連続するような部分もあったということもありました。
 現在、この上田での調査を継続中ですが、これもざっくばらんなところ、あまりうまくいっていないというのが事実です。というのは、平野さんは病気ということもあるんですけれども、インタビューを3回やったと書いてありますが、これは直接お目にかかってのインタビューではなくて、あらかじめ質問項目を文章化して、それを手紙という形で送って、それに対してまた手紙で答えるという形をとっています。もともと質問項目をあらかじめ確定してということですから、それはそれで大丈夫ではないかと思ったのですが、やはりその場、その場で回答に応じて関連質問などができないというのは、あまりぐあいのいいものではないというのが、やってみた感想です。
 その点がまず非常にやりづらいということと、それからこの平野さんという方はなかなか本当のことを語ってくれないというか、書いてくれない人なんですね。その辺のところを周辺の方などにインタビューをして、いわば外堀をだんだんと埋めていくというような作業をしているところになるわけですが、なかなかご本人からするとまだ話したくない、もう忘れてしまいたいというようなことが実はあるようです。先ほどかぎ括弧つきの前川さんとの「論争」と言いましたけれども、その前川さんとの「論争」というのは、決してこの平野さん自身が望んだものではなくて、前川さんの主張があって、一方でだれかそれに対応するというところで、筆の立つ平野さんを『図書館雑誌』の編集部が引っ張り出したみたいなところがあって、ご本人からすると前川さんと何かいさかいを起こして、そしてその論争に敗れたみたいになっていることに対しては、非常に不本意な部分があるようです。当時の『図書館雑誌』の編集長は浪江虔さんだったんですけれども、その辺もいろいろと絡まってくる。
 それから、当時の上田市立図書館の運営の意思決定者は、やはり決してこの平野さんではなかったということです。平野さんの上に館長などがいまして、その館長さんなどが大きな力を持っていたようですが、残念ながらそのキーパーソンである当時の館長さんは既に亡くなっているということで、事の真相がどうもよくわからない。
 例えば山嵜さんという女性の方にもインタビューをしたわけですけれども、この方は当時の最若手の図書館員の方でして、館の運営そのものについては全くわからないという状態です。何か上の人たちがいろいろやっていたようだけれども、私はまだカウンター、レファレンスなどにも出ていない状態でしたから、あまりよくわかりませんというような形になっていまして、いま一つわからない。多分これ以上のことはわからないのではないか。ならばもう少し別の観点から、別の人にインタビューをしようかというようなことを今、相談しているところです。
 その一方で、上田市立図書館の書庫には第二次世界大戦前の図書館日誌が全部そろって残っていました。ちなみにこれまたOPACには載っていないわけですけれども。私などからすると、そういった雲をつかむようなと言っては悪いけれども、雲をつかむようなインタビューよりも、その戦前の日記をしっかりと読み込んで、その部分でちゃんとした論文なりを書いてしまったほうがよほどよさそうだなと考えているぐらいです。
 やはりそれなりの資料がないとだめだなと。その戦前の日誌があるけれども、その日誌をもとにインタビューをしようと思っても、残念ながら既に関係者はお1人もおられない状態です。その日記は実は戦後もずっと続いているけれども、昭和40年代ぐらいからそういった日記をつけるということすらもう行わなくなってしまったようで、新しいところがない。かえって昔の人のほうがちゃんと小まめに記録をしていたんですね。ですから、今まだお元気な方に、図書館の日記をもとにインタビューをしようと思っても、該当する資料がないということになってきます。
 何かあまり景気のいい話ばかりしませんでしたが、いま申し上げたようなことで、スライドもちゃんと使っていないのですが、「6.オーラルヒストリーの限界」のところはちゃんと使いましょう。(笑)先ほど申し上げたように、オーラルヒストリーというのは確かに大きな意味があると思います。しかしながら、その大前提としてしっかりとした資料があることが大切ではないでしょうか。このオーラルヒストリーというのは、図書館の分野に限らず歴史研究でアメリカなどで盛んに用いられていますけれども、なぜあちらでそういったことがしっかりと行えるかというと、裏づけとなる資料(があるからです)。この場合の資料というのは図書館の分野でいけば、『図書館雑誌』とか『Library Journal』とかそういうものではなくてアーカイブです。これが日本の場合、決定的にないということです。最近のアメリカの図書館史の研究を見ますと、アーカイブを徹底的に駆使してやっていくというふうになっているわけで、それをしていくために、このオーラルヒストリーというのもさらに一つ役立つ材料になるのではないかと思います。
 翻って日本の場合、そうした記録文書がこれまで全く残されてこなかったということです。図書館の役割というのは本来は保存というのがあるはずですが、どちらかというと保存ということに対して日本の図書館の場合、あまりしっかりとした認識を持ってこなかった歴史があります。
 それからもう一つは、(資料が)あるんだけれども使えないという状態です。先ほどご紹介したような第二次世界大戦前の図書館の日記などを、幾つかの図書館が持っているはずですけれども、そうしたものは一般には使えないですね。例えば国立国会図書館などは、帝国図書館時代のアーカイブが多分あるはずでして、中の方はそれを使って『参考書誌研究』などに論文を書いたりする。ではそれを見せろと言っても、そんなものは目録にないですからありませんと。カウンターのところで押し問答をすればもしかして多少出てくるかもしれませんが、今の時代ですと下手すると、これは個人情報ですみたいなことで利用は断られてしまうようなことだって起こってくるわけです。
 いろいろな図書館で館史、50年史とか100年史などが出てきますけれども、ああいった中でところどころにその手の古い記録を使っているものがあるのですが、それが我々一般には公開されていないところが多いんですね。最近、それでも日本でも多少このアーカイブというものが整備されてきて、文書館が少しずつつくられるようになってきましたけれども、その文書館などに行っても、図書館関係の記録簿などというのはまず回ってこないです。教育関係のものはまず来ない。教育委員会関係の中でも、図書館(に関するもの)は図書館にあるはずですと。では図書館に行ってみると、それはないですというか、わからないんでしょうね。恐らく今の若い、新しい図書館員の人たちにとっては、書庫の奥のほうに眠っているアーカイブなどの存在そのものがわからないのでしょうね。この辺がまず一番大きな課題で、まずは今後のためには図書館もしっかりと記録をつくって残すということをしてほしい。それを使ってさらにインタビューということになります。
 やはりこのインタビュー、オーラルということになると、だれに聞くかということが大切だと思います。漫然とだれ彼ともなくどうですかと聞いても、そうわかることとわからないことがある。その当時の図書館の政策決定などに当たった人物は一体だれなのか、繰り返しになりますけれども、そうしたことを記録によってしっかりと押さえた上でインタビューということになります。そうなってくるとどうしても、ある程度上層部の人たちになってくるわけで、上層部の人になればなるほど口がかたくて、定年前はまず絶対に話してくれない。定年後も一種の守秘義務でしょうか、よほどのことがない限りなかなか口を開いてくれないというのが、もしかしてあるのかもしれません。
 そういう中で、案外盲点になっている部分は、今回私自身もつくづく思ったのですが、あまりだれも昔のことは覚えていないということです。覚えているとすると、それはもしかすると何か特別鮮明な出来事なわけで、よほど大きな出来事でない限り無理がある。そして仮にあれこれ覚えているとすれば、それは案外後から何かで見たものが、いつの間にか自分の記憶となってしまっているという部分が多いのではないかということです。先ほどのだれをインタビューするかということでいうと、この辺が難しいところで真っさらな人に聞けばいいけれども、真っさらな人はこれを覚えていないということになってくるわけです。よく覚えていて何でも話してくれるという都合のいい人がいれば、このオーラルヒストリーという手法は非常に有効ではないかということになってきます。(笑)
 大変失望感を与えるような話ばかりを続けてしまった感じはしますが、やはり事実は事実としてちゃんと言っておかなければいけないのかなと思います。確かに有効な手段ではあるかもしれないけれども、万能ではない。その万能ではないということを十分に知った上で聞き取り調査をしていけば、これがまた新たな資料となって、次の世代の研究に役立ってくるわけですから、これはやはりしっかりとしたインタビューをしてそれを活字にしていくという努力は怠ってはいけないのではないかと思います。
 以上で終わります。(拍手)

池内
 どうもありがとうございました。
 小黒先生から日図研のオーラルヒストリー研究グループの活動内容につきまして成功した事例、あるいはうまくいっていない事例も含めてざっくばらんにお話しいただいて、大変興味深く拝聴いたしました。
 この後、三浦さんにご発表いただく予定ではございますが、内容について小黒先生にお伺いしたいことなどがございましたら、ご質問を今お受けしますけれども、いかがでしょうか。
 よろしいでしょうか。
 私は司会者ですけれども、ちょっとすみません。
 例えば前川氏がお話しになられない、資料を持っていらっしゃるだろうけれども話してくださらないことがあったというのは、具体的にどういうようなことでしょうか。例えば、どのようなことについては、あまりしゃべりたくないといったような傾向はございますでしょうか。

小黒
 あの方の場合、協会の事務局におられたわけで、恐らくいろいろな舞台裏のことをご存じのはずです。
 一番有山に近いところにいたわけです。
 そういった協会の中でどういうようなことがあったということをあまり覚えていないというか、話してくれなかったところがあります。

池内
 それは、明らかにはぐらかしているのが分かってしまうというような感じでしょうか。 小黒
 はぐらかすというか、話さないですね。

池内
 そうなんですか。
 お金が絡んでいるとか、そういうことではなくて、別の何か……。

小黒
 お金ではないですね。

池内
 もちろん前川氏以外の方についても、お話しになりたくない、あるいは、お話しできない内容というのはどういうものなのかというのに純粋に興味があったものですから。

小黒
 結構、委員の間での人間的な対立とかがあったようです。
 そういったところで、途中で委員がやめてしまったりとかいろいろしているわけですが、そのあたりの細かなことですね。

池内
 どうもありがとうございました。

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